天使こども園ニュース

こどもの眼 2月号 園長 早川 成

  • 2019.02.01
  • 園長

「こどもの眼」
~ 支え、支えられ ~ 

園長 早川 成

始園日の朝、あひる組さんの女の子が何度も何度も門にやってきては「あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいします。」と新年の挨拶をしてくれました。ニコニコ笑顔でやってきては、挨拶が終わると嬉しそうに去って行き…の繰り返しで、その数ナント計8回。「何がそんなに嬉しいんだろう?」と思いもしますが、「嬉しいんだから、嬉しいんだ!」というのが結論。2歳児が嬉しかったり楽しかったりするのに理屈はいらないと、つくづく思いました。私は基本的に、〝挨拶〟を指導しない主義ですが、こんなに嬉しさいっぱいの挨拶に出会うと、「やっぱり、挨拶はこうでなくっちゃ!」と改めて感じます。
「指導をしない」とは言っても、挨拶は大事な事ですし、気持ちのいいものです。必要ないともどうでもいいとも全く思っていません。しかし、小さいうちにきちんと挨拶できるように躾け、礼儀を身に付けさせるために指導が必要かというと、逆に小さいからこそ違和感を覚えます。大人になる上で、人と関わり合って生きていくために大切なことだからこそ、指導ではなく、ましてや強制ではなく、自然と挨拶できるようになってほしいのです。
前述の女の子は、いつも私を見つけると「あっ、園長先生だ!」と言って駆け寄ってきます。朝の挨拶は「おはよう!」のときもあれば、いきなり「あれ?髪切った?」の時もあります。先日一緒に農園に遊びに行った次の日に園庭で会うと「いっしょにあそぼ!」と、いきなり手をつないで連れて行かれました。このように、この時期の挨拶は〝礼儀〟である前に、まず相手への興味であり、その気持ちの表現です。子どもにとっては〝遊び〟でさえあると思います。きっと、「あけましておめでとう」の8連発は、「今日はいつもと違う特別の挨拶をしたい!」という〝言葉あそび〟のようなものだったのだと思います。私にとっての〝挨拶〟は「躾けておくべき態度」ではなく、「育んでおきたい心持ち」です。朝の門では、「ボクは挨拶しない」という挨拶もあります。私の前まで来るとお母さんの陰に隠れる子もいれば、絶対に視線を合わせないけれど、ニヤッと笑って通り過ぎるという子もいます。その子その子の、またその時々で違う、いろいろな流儀?の挨拶があります。でも、決してずっとそのままではなく、必ず変化し、進化していくのです。そんな一人ひとり違う個性のある挨拶の成長を何回も何年も見続けていると、大人になっても挨拶がまともにできないのは躾けを間違ったからではないなと感じます。挨拶をしないのは、人と関わることに興味がなく、思いを表現することに喜びを感じないからではないか?子どもの頃に、気持ちのいい挨拶、嬉しい挨拶、楽しい挨拶を経験したことがないからではないかと思うのです。私は、今はまだ「その子流」でいいと思い、きちんとした言葉や姿勢での挨拶を求めずに、そのやりとりを楽しんでいます。いつの日か、時と場合に合わせ、相手によって挨拶を使い分けることができるようになる。そう信じながら、その時がいつ、どんな形でやってくるのかを楽しみに待っていたいと思います。
さて、話は突然変わりますが、先日さくらんぼ(未就園児の親子登園クラス)の運動あそびにお招きいただきました。ゲームで子ども達を捕まえる鬼を演じたのですが、一人の女の子が怖がって、ゲームが終わっても私が近づくと逃げるようになってしまいました。入園を目前にして園長を避けるようになってしまったという結末には苦笑いするしかありませんが、随分昔に同じようなことがあったのを思い出しました。
その時もさくらんぼクラスでオオカミだったかネコだったかを演じて子ども達を追いかけました。そして女の子を捕まえると大泣きしてしまい、避けるどころか私を見るたびに泣くようになってしまったのでした。しかし、入園後しばらくするうちに慣れて泣かないようになり、一緒に遊べるようになると、どんどん仲良しになりました。また、お母さんにはPTAの役員さんを引き受けていただき、お話しする機会がたくさんありました。そんなこんなで最初は「涙の出会い」でしたが、そのおかげで親子共にとても仲良くしていただき、卒園式ではお母さんと入園前のことを思い出して懐かしがったのでした。その後、その子とは卒園後も課外レッスンで会うたびに声をかけ合っていました。中学生になっても、高校生になっても、街でバッタリ会ったときにも、いつも人懐こく声をかけてくれ、会話を楽しむことができるのは本当に嬉しいことでした。
そのMちゃんが今年、成人式を迎えました。残念ながら、用事があって参加することができませんでしたが(といっても招かれていないのですが…)、当日は随分と卒園児達が集まっていたという話を聞き、会場に顔だけでも見に行けばよかったととても後悔しました。新成人代表の挨拶も卒園児だったそうです。Rくんは中学校の卒業式で大合唱の指揮者をしていましたので、その時の雄姿も覚えていますが、更に立派になっていたことでしょう。さてそうなると、次々に当時の顔やエピソードを思い出します。イースター(復活祭)の礼拝でキリストが甦ったという話を聞いて、「先生、ボクまだ死んだことないよ!」と笑って言いに来たYくん。キャンプの初日に出発したバスの中で元気がなく、おたふくかぜの疑いで高速に乗る直前に迎えに来てもらい、がっかりして帰って行ったKちゃん。節分の日、現れた鬼に果敢に立ち向かい、家に帰ってお母さんに「あれは早川先生だった。パンチした時のお尻の硬さが同じだった」と報告したKくん。みんな成人を迎えました。今、それぞれどこでどうしているでしょう。どんな大人になっているでしょう。その成長した姿を思い浮かべながら、幼き日の出来事を思い出していると、これまで子ども達をいろいろな場面で見守り、支えてきたつもりでいましたが、今となっては自分が彼らに支えられ、見守られているような気がしてきました。しみじみと幸せを感じています。

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