こどもの眼 1月号 園長 早川 成
「こどもの眼」
~うれしいことば~
園長 早川 成
皆様、新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
いよいよ2019年の幕開けですね。新聞やTVを始めメディアでは、昨年の出来事を振り返り、新しい一年にあれこれと思いを巡らせるようないつもの報道よりも、平成を振り返り、20年後30年後の世界情勢や我が国の未来を予測するという類のニュースや記事が多かったように思います。単なる年の節目ではなく、時代の節目を迎えているということでしょう。平成30年を振り返るにあたり、昭和と比較するような報道もありました。昭和のど真ん中に生まれ、戦後20年を経た時期の教育を受け、高度経済成長期~第2次べビーブームの頃の価値観で育てられ、昭和の終わりに社会人となり、平成に子育てをした者としては、懐かしくもありましたが、様々なことを考えさせられもしました。年月の経過はその日その時の出来事の積み重ねと共にありますが、今日と明日、去年と今年はそんなに変わらなくても、10年20年で見ると大きく変わっていることに気が付きます。時代や歴史の流れの中で、一つひとつを検証してみると、劇的に変わったようなことも、実は少しずつ、ゆっくりと変わっているのを見過ごしていることが多いように思いました。
11月の誕生会で、私と同じ誕生日の男の子が年長さんいることが分かりました。年齢差は50歳。私よりも半世紀後に生まれた今年の年長さんが、私の年齢になったとき、どんな時代になっているでしょう?我が国はどんな歴史を刻んでいるでしょう?私が育った時代は、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と言われ、その後、カラーテレビ・クーラー・自家用車が新三種の神器と呼ばれたそうです。今は、スマホと、何でしょう?(スマホひとつで何でもできるので、すでに三種もいらない?)近い将来には、更に進化したスマホ(携帯型通信機器兼コンピューター)と、AIロボットと、自家用ドローンなんてことになるのでしょうね。そう考えると、50年後は?きっと想像できないような社会になっているでしょう。
それどころか、想像することに怖さを感じます。なぜなら、手に入るものよりも、失うものに目が向いてしまうからです。便利になることの喜びよりも、面白さや楽しさを奪われるような気がするからです。年明け早々、堅苦しい話だと感じているかたがいたら申し訳ありません。私としては重たい話をするつもりは全くなく、新年のスタートに時代の節目を感じながら、改めて心に誓ったことを書くつもりが、こんな文章になってしまいました。私がお伝えしたかったのは、子ども達がこれから先20年後に遭遇する「大人の時代」を迎え撃つためには、今しっかりと「子どもの時代」を過ごしておいてもらいたいということです。そのために、昭和の時代に子どもを過ごし、平成の時代に大人になった私には、やるべきこともやりたいことも、まだまだたくさんある。その一つひとつに今年もますます頑張ろうということです。冒頭に年始の挨拶をいたしましたが、暦の上では新年の始まりでも園ではいよいよ3学期。一年を締めくくる季節を迎えました。年度末に向けて、「子どもたちの一年間のまとめをしっかりしなければ!」と、教職員一同それぞれに気合いを入れ直しているところです。子ども達の成長の手応えをご一緒に味わうことができますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨年の1月号のこどもの眼を読み返すと、「夢を見る一年に!とmyテーマを掲げた2017年は、一歩前進できたように思います。」とあります。念願の「森」を手に入れ、おやじの会で手入れをし始めた時のことが書かれていました。では、今年は?
2018年のテーマは「対話を大切にする」でした。子ども達や保護者の皆さんと、教師達と、家族と…。人との〝コミュニケーション〟を心掛けるということだったと思います。これは達成どころか、実行も今一つだったように思います。もっと話をしていたら、しっかり思いを聴いていたら、ちゃんと受け止めていれば、言いたいことをきちんと伝えていれば…と、反省しきりです。ということで、このテーマは2019年も引き続きとなりますが、そんなことを考えていると、コミュニケーションのために大切にしなければならないことを、子ども達から教えてもらっていることに気が付きました。
昨年11月末に、西国分小学校の1年生親子ふれあい活動(レクレーション)にお招きいただき、1年生の親子と遊んできました。とても賑やかに、楽しく過ごした後、教室に戻っていく子ども達を体育館の入り口で見送っていたときのことです。「ありがとうございました。」「また遊ぼうね!」と声を掛け合い、タッチしながら挨拶していると、一人の男の子が抱き着いてきて言いました。
「友達になろう!」
突然でしたし天使の卒園児でもなかったのでちょっとビックリしましたが、なんと真っすぐな、そしてなんて素敵な言葉でしょう。とてもうれしく、じんわりと、心が温かくなりました。
そしてその次の日、年長組の鍋会に〝もりぞうさん〟が現れました。前回高良山の森で会ったとき「30日後に来てください。」と招かれたもりぞうさんは、ドングリを30個拾って数える練習をし、ちゃんと間違えずに来てくださったのでした。よく燃える枝の見分け方を教えてもらい、拾って帰った焚き木を使って、三学期の鍋会本番に向けての練習です。薪のくべ方や燃やし方を伝授してもらいながら、自分達の力で作った鍋に大満足の子ども達。もりぞうさんも、りす組とらいおん組の両方を行き来しながら、鍋を味わい、おしゃべりをしながら一緒に楽しく過ごしました。そして、いよいよ帰る時間になりました。子ども達は、それぞれにもりぞうさんと握手をしたりしながらさよならをしていますが、その時にかけている言葉がまた素敵なんです。
「絶対また来てね」
「ボクのこと、忘れないでね」
いかがですか?これもまた、とてもうれしく、やんわりと、心が温かくなりますね。コミュニケーションを大切にするために〝うれしいことば〟がとっても大事であることを子ども達が教えてくれています。
幼児教育の父と言われている倉橋惣三の著書「育ての心」に次のような一節があります。
「廊下で」泣いている子がある。涙は拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのと尋ねる。弱虫ねぇという。
…随分いろいろのことはいいもし、してやりもするが、ただ一つしてやらないことがある。泣かずにいられない心持への共感である。お世話になる先生、お手数をかける先生、それはありがたい先生である。しかし、有難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心持に共感してくれる先生である。
2019年。〝うれしいことば〟を大切にする、「うれしい先生」に近づけるよう頑張りたいと思います。
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