こどもの眼 4月号 園長 早川 成
~ 森で育つ ~ 園長 早川 成
昨年度も、学年を問わず、何度も森に行きました。
わちゃわちゃの森、10カーブの森(年長さんが名付けました)、遠足でも森の中を歩き、森で遊びます。
では、当園はなぜ森に行くのでしょう?
私としては「何もない森には、いろんなものがあるから」という答え方が一番しっくりくるのですが、先日、偶然見つけた本に、納得のいく答えを見つけました。
『前略~ 都市で暮らしている人は、僕がどんな話をしても「じゃあ、どうしたらいいのですか?」と言います。「じゃあ、どうしたらいいか」という考えそのものが、物事には必ず答えがあるという前提に立っています。
~中略~ だから私は「森に行きなさい」と言うのです。でも、「森に行くと何があるのですか」と聞いてくる人がほとんどですね。そういう質問をするから、森に行かないといけないんですよ。』
自然体験を通して身体で理解すること、野山で遊びながら学ぶことの大切さをテーマにした対談の中で、筆者は野遊びの魅力と子どもの時期に感覚や感性を養っておくことの大切さについて述べ、人間の脳の産物である人工物であふれている「脳化社会」で、若者達がバーチャルの世界に生き、何でもスマホで検索して答えを出し「ああすれば、こうなる」で育つことの危うさを指摘していました。
そして、『そもそも子育てなんて「ああすれば、こうなる」わけがなくて、「どうしたらいいか、わからない」ものですよ。自然だって、もともと「どうなるか、わからない」もので、人間の思い通りには動きません』
と語り、「思い通りにならないこと」に向き合うために、外に出て自然に向き合うことが教育の最初にあるべきだと言及していました。
6年前、おやじの会で拓いた森に最初に年長さんを連れて行った時、森に入るなり「なんにもないやん!」と言った子がいました。
けれども、すぐに面白そうなこと(もの)を見つけ、思い思いに遊び始めた、その子ども達の様子から、「わちゃわちゃの森」という名前を付けました。
誰と、何をして遊ぶかは自分で決めます。
行くたびに遊びが変わる子もいれば、お気に入りの遊びを繰り返し楽しんでいる子もいます。
そんな自由な〝森の時間〟が、子ども達を育ててくれていると感じています。
昨年4月のこの欄は「始園日の朝、子ども達が来るのを楽しみに門に立っていると、年長組の男の子が走ってやってきました…」という書き出しで始めています。
その子が今ではランドセルを背負って小学校に行っていると思うと感慨深いものがあります。
この仕事は、子ども達の成長と共にあり、出会っては育ち、育っては巣立っていき、この繰り返しだということをつくづく感じるこの季節。
新しい一年も、たくさんの自然に触れながら過ごしていきたいと思っています。
私たちも大いに楽しみ、そして子ども達に負けないように成長しましょう。どうぞよろしくお願いします。
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