こどもの眼10月号 園長 早川 成
「こどもの眼」
~学んだことの証~
園長 早川 成
「学んだことの証しはただ一つで、何かがかわることである。」
これは、教育哲学者である林竹二先生(故人)の言葉です。その著書には「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。学ぶとは、いつでも、何かがはじまることで、終ることのない過程に一歩ふみこむことである。一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである」とあります。林先生は教育の学問的な探求だけでなく、全国の小学校で対話型の授業を行ない、授業を通じて子どもたちの中で「何かが変わる」事実をもって、教育の意味を考え、追求し続けた人でした。先生の授業を受けた小学生に次のような感想があります。
「答えて終ってしまうんでなく、考えれば考えるほど問題が深くなっていく。私は勉強していて、どこでおわるのか心配になってきたほどだ。私は一つのことを、もっと、もっととふかくなってゆく考えかたが、こんなにたのしいものかとびっくりした。」
いろんなことを考え、さぞかしドキドキしたことでしょうね。そして、授業をしている林先生自身も子どもとのやりとりを楽しんでいたことでしょう。授業風景を想像するだけでワクワクしてきます。教育者の端くれとして、この教えるものと学ぶものの姿こそが、〝学び〟の本質であることを肝に銘じておきたいと思います。
さて、最初からいきなり難しい話になり、「何だ?どうしたんだ?」と思っている方がいらっしゃるかもしれません。 この二学期は行事が多く、子ども達の成長が目に見えて感じられますが、先月号にも書いたように、結果や出来映えに注目するのではなく、日々の保育やお家での様子を振り返りながら、成長に至ったプロセスを味わっていただきたくて、このような書き出しになりました。どうぞお付き合いください。
ところで、「成長」というのは〝変わる〟ということでもありますが、だとすれば、冒頭の林先生の言葉からすれば、子ども達の成長した姿は何かを〝学んだ〟ことの証であるということになります。子ども達の何が変わったのでしょう?彼らは一体何を学んだのでしょう?
当園では、毎日学年毎に一日を振り返る時間をとり、担任はクラスの様子を日誌に残します。そして、それを基に週末のミーティングや学期末の園内研修で子ども達の様子を伝え合い分かち合っています。職員室にいることの多い私にとっては、子ども達のことを知る貴重な時間になっていますが、今回のテーマは、その時のメモがきっかけになって決まりました。そこには、子ども達が「〇〇したので変わってきた。」とか「○○することで意欲的になってきた。」というようなことが簡単に書き留めてあるだけでしたが、この〇〇部分が彼らが〝学んだこと〟であり、それによってどう変わったのかを知るヒントだと思うのです。では、その〇〇の部分だけを拾ってみます。
「楽しめるようになったので」「自信がついたので」「好きな遊びが見つかったので」「友だちができたので」「周りが見えるようになってきたので」「できることが増えたので」「語い数が増えたので」…という言葉がならんでいます。
「何だ、そんなことか?」と思われるかもしれませんが、こども達の姿を思い浮かべながら読んでみてください。
楽しめるようになるまで、毎日どんな気持ちで登園してきていたでしょう?なかなか自信が持てなくてどんなに不安だったでしょう?好きな遊びが見つかるまでは、何をして過ごしていたでしょう?友だちができるまでどこで遊んでいたでしょう?周りが見えていなければ、さぞかし困ることも多かったでしょう?できないことがたくさんあって、どれだけ悔しい思いをしたでしょう?たどたどしい言葉で上手く伝わらず、どれほどもどかしい思いをしたでしょう…と、そうなる前のその子の気持ちに思いを寄せると、好きな遊びが見つかったり、友だちが出来たりしたことで、毎日がどれだけ豊かになったのかが想像できると思います。ここで大切なのは、これらは全て子ども自身が実際に経験したことによって身についたものばかりだということです。楽しめるようになるのも、自信をつけることも、好きな遊びを見つけるのも、友だちができることも、周りが見えるようになることも、生きていくためにとても大切な力になりますが、教えられて出来るようになったり、習ってわかるようになったりするものではありません。「できること」や「語い数」が増えたことにしても、それを狙って教えた結果ではなく、遊んでいるうちにいつの間にかそうなっているというのが幼児教育の醍醐味で、学校教育が「意識的な学習」であるのに対して「無意識の学び」と言われているのが幼児期の〝学び〟です。
それともう一つ、〝学んだことの証〟が子どもが〝変わった姿〟だとすれば、その学びを生み出したのは日々の保育実践であるということが重要です。保育者が子ども達にどのように関わったことが学びにつながったのか、そこにはどんな工夫があったのか、どんな気持ちで取り組んだのか、そのことを振り返ってみた時、そこに大きな意義と責任を感じます。行事の度にこれまでの保育実践を振り返った時、そこには手応えや嬉しさもあれば、課題や反省もありますが、日々のやりとりを思い起こしながら、一人ひとりの成長を感じることができるのは私達の大きな喜びであり、やりがいでもあります。
子ども達も保育者も、日々たくさんのことを学び合い、育ち合っています。運動会を目の前に、子ども達が園生活の中で〝学んだこと〟に目を向けて、その証である一人ひとりの成長を味わっていただければと思います。
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