天使こども園ニュース

こどもの眼 12月号 園長 早川 成

  • 2020.12.02
  • 園長

「こどもの眼」
~ 眺める ~ 
園長 早川 成

この紙面では、朝の門でのエピソードを紹介する際に、「門から園庭を眺めていると…」という書き出しを時々使います。
今月もそのように書こうとしていたところ、ふとこの〝眺める〟という言葉が気になりました。
「見つめる」というほどしっかり見るのとは違うし、「見守る」というほど気を付けて見ているばかりでもないし…と、自分としてはそれなりに使い分けて〝眺める〟と表現していたのですが、調べてみると面白いことがわかりました。
〝眺める〟には「遥かに見る、見渡す」や「つくづくと視線を注いで見る」等の意味があり、(のんびり眺める)(しげしげと眺める)等の使い方がありました。
「うんうん、どっちもあるなぁ」と思っていると、更には(物思いにふけりながら…)(見るともなくぼんやりと…)の例が紹介してあり、「そうそうそんな感じ」と一人で納得していました。
中でも「かたわらで成り行きを見る」の意味に至っては「まさにこれだ。ドンピシャやん!」と一人で満足していました。
他の類語も気になって調べてみると、「見守る」は(無事であるように注意しながら)(成り行きに気をつけながら)等「目を離さずにじっと見る、熟視する」という意味。
「見つめる」は、「目をそらさずにじっと見続ける、凝視する」との意味でした。
子ども達を見るときは、もちろん「見つめる」ことも「見守る」ときもありますが、私にとっては子ども達を「眺めている」ときが一番面白いと感じます。  

ある雨の日、門のすぐ近くの水たまりで年少の男の子が遊び始めました。
登園後にお部屋に入らずにずっと遊んでいるので気になりながらも、楽しそうだなぁと、その様子を眺めていると、そこに二人の姉弟が登園してきました。
お姉ちゃんはさっさとお部屋に行きましたが、長靴の弟くんは水たまりで立ち止まり、遊んでいる年少さんを見つめて自分も入りたそうにしています。
年少さんがどうするかなぁと興味深く見守っていると、弟くんに気が付き、水たまりから出て場所を譲ったのです。
「おっ、なかなかやるなぁ。」と感心して見ていると、水たまりに入ろうとした弟くんが立ち止まります。
水たまりが思ったより深そうで、入っても大丈夫か戸惑っているようでした。
すると、年少さんが弟くんを呼んで自分の横に並ばせました。ナント、長靴の丈を比べているのです。
年少さんが「同じやん!大丈夫!!」と言って促すと、弟くんは安心して水たまりに入ることができました。これにはちょっと驚きました。まさしく感性と知恵の賜物ですね。感動を覚えました。
弟くんは、満足してお部屋に向かうと、少し歩いたところで振り返り、再び水たまりで遊び始めた年少さんに向かって「じゃあねぇ~!」と言って歩いて行きました。
この場面、私はひと言も言葉をかけずに、ただじっと眺めていただけですが、年少さんの成長をとても嬉しく思いました。
また、「じゃあね!」とニッコリ笑って満足そうに去って行く2歳児さんのあどけなさと、何事もなかったかのように再び水たまりで遊んでいる年少さんの、さりげない関係がとても素敵だと思いました。

このように、わずかな時間でも、子ども達を眺めていると、様々な場面に出くわして、いろいろなことが見えてきます。
見つめる、見守る、更には見据える、見極める、見定める等々、辞書を引くと同じような言葉がいくつもありますが、子どもと関わる時は、こちらがもくろみを持たず、そこで起きる出来事をぼんやりとのんびりと、ただただ眺める時間が大切だと思いました。

もうすぐクリスマス。三人の博士は輝く星を、羊飼いは焚火の炎を眺めながら、イエス様が生まれた馬小屋に導かれます。
そこではマリアとヨセフが飼い葉おけに眠る幼子を嬉しそうに眺めていたことでしょう。
私達も年末の忙しさに追われる中にも、意識して子ども達の姿を眺めながら、暖かい気持ちで来る年を迎えることができればと思います。

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