こどもの眼 9月号 園長 早川 成
「こどもの眼」
~ 雨に想う… ~
園長 早川 成
7月初旬、今年もまた豪雨に見舞われました。
警戒警報の発令(スマホのアラーム)に気を張り、行政からの通知や通達を気にかけ、小・中学校の判断に気を留め、保育の予定と刻々と変化する空模様に気をもみ、子ども達の様子に気を配り…と、日々判断と決断に追われる落ち着かない毎日を過ごしました。
台風の季節を迎え、また同じようなことにならなければいいけれど…と願うばかりです。
それにしても、我が国の自然環境は、この先いったいどうなってしまうのでしょう?
新型ウィルスの脅威もさることながら、近年激しくなるばかりの気候や環境の変動には、本当に将来を心配してしまいます。
今年、抜け殻ではないセミの幼虫を手に握りしめている子ども達が何人もいました。こんなに見たことは今までにありません。
土砂降りの雨から逃げ出したのでしょうか、気温の上昇に梅雨が明けたと勘違いしたのでしょうか、地面から這い出したが最後、雨に打たれたセミの幼虫が、園庭にいくつも転がっていました。
また、私の脳裏には、しとしとと降り続く梅雨の長雨と家の中のジメジメとした雰囲気や、突然激しく降る真夏の夕立と雨上がりの匂いが、50年以上たった今も五感に刻まれて残っていますが、そういう季節の感覚も、今の子ども達には失われてしまうように思えて残念です。
日本はもはや亜熱帯のようですね。その昔、「豊かな四季を持つ、穏やかな温帯気候」と書かれていた地理の教科書を書き換えなければならないほどだと思います。
でも、そんな私の心配をよそに、天使の子ども達は雨が大好きです!
濡れることも、歩きにくさもお構いなし、レインコートを着て、傘を差し、荷物を抱え、長靴を履いて、嬉しそうにやってきます。
雨が降っていなくても、傘を差してくる子がいます。雨が降っているのに傘を差さずにくる子もいます。
雨どいからあふれ落ちる滝のような雨に打たれて遊んでいるうちにずぶ濡れになってしまう子、水たまりで遊び始め、なかなかお部屋にたどり着かない子等、雨の日の園庭には〝天使らしさ〟がいっぱいです。
水たまりを避けて歩くのと、わざわざ選んで歩くのと、どちらがいいかなんてどうでもいいですね。何といっても、楽しそうなのが一番です。
さて、保育関係の書籍で、やしま・たろうさんの「あまがさ」という絵本が紹介されていました。探すと図書室にあったので読んでみました。
女の子が3歳の誕生日のプレゼントに雨傘と長靴をもらいます。うれしくてたまらず、雨が降るのを楽しみに待ちますが、なかなか降ってくれません。
だんだん我慢ができなくなる女の子と、お母さんのやりとりが面白く、またとても素敵です。
そして、ついに雨が降る日がやってきます。お母さんと一緒に幼稚園までの道を歩きますが、女の子はこっそり自分に言い聞かせます。
「わたし、おとなのひとみたいに、まっすぐあるかなきゃ!」
帰りはお父さんが迎えに来ます。いつもは忘れ物が多いのに、雨傘は絶対に忘れませんでした。
そして、お父さんと歩きながら帰る途中、やっぱり同じように、こっそり自分に言い聞かせます。
「わたし、おとなのひとみたいに、まっすぐあるかなきゃ!」と。
お母さんやお父さんと一緒に傘を差して歩くことが嬉しく、傘に落ちる雨の音を楽しみながらも、「まっすぐ歩かなきゃ」と、ちょっと緊張している様子を想像すると、なんだか身近にいる知っている子のように感じて愛おしくなりました。
お話の最後は、「 モモ(女の子の名前)は、もう今ではすっかり大きくなって、このお話を少しも覚えていません。」と締めくくられています。
そして、「覚えていてもいなくても、これは、モモが生まれて初めて雨傘を差した日だったのです。そしてまた、モモが生まれて初めてお父さんやお母さんと、手をつながないで、一人で歩いた日だったのです。」という言葉で結ばれていました。
傘を差してニコニコと嬉しそうにやってくる姿、長靴を履いて水たまりに入るときのニヤリと笑ういたずらな顔、何気なく目にする雨の日の光景は、〝大人のように〟〝自分の力で〟という自慢げな姿(自立心の表れ)なのかもしれませんね。
さて、今年は秋の風や虫の音など、夏から秋への季節の変化をどれぐらい感じることができるでしょうか?
季節に限らず、何事にも変化が極端で、動静や緩急をじっくりと味わうことが難しくなっていますが、この二学期、日常の中に潜んでいる、子ども達の成長をたくさん見つけ、味わいながら過ごしていきたいと思います。
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