こどもの眼 5月号 園長 早川 成
「こどもの眼」
~ 今、思うこと ~
園長 早川 成
連休明け、スケジュール帳を開くと、7日(木)の欄には「家庭訪問スタート」「年長組キャンプ導入」の文字が…。
4月に入ってから一カ月、手帳に書き込まれた予定に線を引いて消すたびにため息をついていましたが、まだしばらくはそれが続くと覚悟せざるを得ません。
更にページをめくると、次の週にはいよいよ二時半までの通常保育が始まり、年長組はキャンプの説明会に農園や森遊び、年中組は高良山登山、年少組も運動あそび(初回)と、わくわくドキドキの保育が並んでいます。
今こうやって書いていても胸が痛む思いがしますが、それでも保育者は子ども達のことを思いながら前を向いて過ごしています。
お家にいる皆さんに少しでも楽しんでもらおうと、知恵をしぼり、力を合わせて、あれこれアイディアを出し合っているところです。
私は、そんな一生懸命な先生達をみていて、「コップの水」の話を思い出しました。いつどこで聞いたのか忘れましたが、水が半分入っているコップを見た時に、「半分入っている」と考える人と、「半分空になっている」と考える人がいる。
「まだ半分ある」と思うか、それとも「もう半分なくなった」と思うか、同じものを見ていても捉え方が異なると、行動が違ってくるという話だったと思います。
過ぎたことで悩み、失ったものを悔いるより、今あるものを大事にし、その先に何を見出そうかと考える方が前向きに生きることが出来そうです。
手帳を眺めて消された予定にがっかりするよりも、保育者たちと一緒にこれから先の空欄に何を書き込もうか、どんな保育を創りだそうかと、夢を描きながら過ごしたいと思っています。一刻も早く安心して登園できる日が来ることを祈っています。
それにしても、今回のコロナウィルス禍にあっては、当たり前だと思っていたことが決して当たり前ではなかったということを、とことん思い知らされています。
子ども達が毎日園にやってくること、一緒に話をしたり遊んだりすること、保護者の皆さんと立ち話を楽しむこと、保育者たちからその日の出来事や子ども達の様子を聞くこと、保育の打ち合わせをしたり行事の計画を立てたりすることは、当たり前のことではありませんでした。
毎日仕事ができること、休みの日に出かけること、人と会うことも、おしゃべりを楽しんだり、遊びに行ったりすることも、当たり前ではなかったのです。
当たり前だと思っていた全てのこと、いや当たり前であることすら意識していなかったことが、実はとても幸せなことであるということを、皆さんも感じていらっしゃるのではないでしょうか?
当たり前の〝日常〟をもっと大事にしないといけないと、つくづく思います。
日常と言えば、思い出すことがあります。随分前のことですが、在園児で海外旅行に行く計画を立てたご家族がいました。
かかりつけのお医者さんに、小さいお子さんを連れて行っても大丈夫かを聞いたところ、「連れて行くのはいいけれど、この子にとっては外国も近くの公園も一緒ですよ!」と言われたという話を聞いて、お母さんと笑ったのでした。
他にも似たような話がいくつかあります。一つは休日に家族でテーマパークに行き一日中過ごした帰りの車の中で、子ども達から「今日は全然遊べなかった」と言われて愕然としたという話です。
結局、ぐずりだした子ども達をよく行く近所の公園に寄ってしばらく遊ばせたら、大満足で帰りましたという報告でした。
もう一つは、二学期の初日の話です。
子ども達と夏休み中にどこで何をして遊んだかを聞いていたところ、旅行やキャンプに行ったこと、海や山で遊んだ話が目白押しの中で、一人の女の子が「お父さんと公園に行ったのが楽しかった…」と、ポツリと嬉しそうに言ったのがとても印象的だったことを今でも憶えています。
子ども達にとっては、日常の何気ない出来事がとても大事なんですね。特別な行事やイベントよりも日常を大切にしたいということを、これまでも幾度となくお伝えしてきましたが、これまで経験したことのない不自由な生活を強いられる日々を過ごしながら、当たり前の毎日を当たり前に過ごす中に、沢山の宝物が埋もれていることを強く感じています。
今こそ、我々大人が改めて〝日常〟というものを見つめ直すことがとても大事だと思います。
さて、話は冒頭の「コップの水」の話に戻りますが、私は、ポジティブ思考の原動力の一つに〝楽天性〟を挙げたいと思います。
高校時代、毎日を好きなように、伸び伸びと、呑気に楽しく過ごしていた私ですが、実はその高校の校訓が「克己・尽力・楽天」だったのです。
他の二つはさておき、この「楽天」だけを実践し、身に付けて卒業したのでした。(もちろん後々そのしっぺ返しを強烈に喰らうことになりますが…)
物事が思うように進まないとき、頑張っても上手くいかない時、何かにつまずくたびに、自分自身の中にある〝楽天性〟に救われてきた気がしています。
久留米弁で言うと「よかよか、どげんかなるっさい!」という感覚、「ケ・セラ・セラ」「なんくるないさ」の精神です。
自粛生活が長期化する中、皆が少しでも元気になれるようにと、様々な人が自分にできることをSNS等を用いて発信しています。
私はその前向きな姿勢と豊かな発想、目を見張る素晴らしい工夫の中に、〝楽天性〟を感じます。
そして、この楽天性こそ、子ども達が生まれながらに持っているものだと思うのです。
3月末、卒園児のお母さんからお手紙をいただきました。
薬局のマスクに続いてスーパーの棚からトイレットペーパーが姿を消す大混乱の中、家にあるペーパーがなくなりそうで大慌てのお母さんに、子ども達が「葉っぱ取ってこようか?」と言って、親子で大笑いしたというエピソードが書いてありました。
子ども達が、明るく、楽しく、たくましく育っていることの嬉しさが溢れてくる素敵なお手紙でした。
当園の保育に対する手応えとお礼が書き綴られており、感謝の気持ちで一杯になりました。
子ども達の中にしっかりと育ち、また親子の日常の中に確かにある〝楽天性〟に、私たちがこれから先目指していくべきものがはっきりと見える気がします。
特に、この不測の事態の中にあっては、子ども達の楽天性は可能性であり、希望でもあると思うのです。
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